渡辺薫彦、ナリタトップロード。ともに駆け抜けた戦場、熱く燃えた青春・・・
―わが友、渡辺ナリタトップロード列伝その1 ナリタトップロード列伝
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 1996年4月4日生。2005年11月7日死亡。牡。栗毛。佐々木牧場(門別)産。
 父サッカーボーイ、母フローラルマジック(母父Affirmed)。沖芳夫厩舎(栗東)。
 通算成績は、30戦8勝(旧3-7歳時)。
 主な勝ち鞍は、菊花賞(Gl)、阪神大賞典(Gll)連覇、京都大賞典(Gll)、京都記念(Gll)、
 弥生賞(Gll)、きさらぎ賞(Glll)。
(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)を採用します)
※列伝各話はIE環境下でMIDI自動演奏を設定しております※

『永遠の戦友』

 かつて、馬の所属厩舎によって騎手が決まるのが当たり前だった時代があった。もともと職人的な徒弟制度の影響が色濃い競馬サークルでは、

「自分の厩舎の馬である以上、騎手は自分の弟子を乗せるのが当然だ」

という思想、信念を持つ調教師が少なくなかった・・・というより、むしろ多数派を占めていた。ちょっとした厩舎には必ず所属騎手がいて、誰もが認める名門厩舎になると、所属騎手が複数いる例も珍しくなかった時代。所属騎手は厩舎の一スタッフとして所属馬の調教を担当し、レースでも彼らに騎乗する。当時、大レースで人気を集める有力馬の騎手が、所属厩舎の関係で騎乗するマイナー騎手や若手騎手であるということも、決して珍しいことではなかった。

 特定の厩舎に所属する所属騎手とは対照的に、特定の厩舎に所属することなく騎乗する騎手は、「フリー」と呼ばれる。彼らは特定の厩舎から給料を受けることなく、調教、レースとも個別の契約によって騎乗を決める。レースでは依頼があった馬に騎乗し、もし多くの依頼がかち合えば、より勝てる可能性が高い方を優先する。

 フリーの騎手たちは、かつては競馬サークルの中で異端視されていた。そんな競馬界の流れが変わってきたのは、そう昔のことではない。

 しかし、定石とは、変わらないように見えて、実は常に変化している。「勝つこと」を最大の目標とするといわれる競馬界だが、そう言いながらも、かつての競馬社会には目先の勝利を犠牲にしながら、所属騎手という「人」を育てる土壌があり、気風があった。そこでは、次代を担う「人」を育てることが、目先のレースの勝利・・・それが時にはGl級のレースであっても、優先されることが是とされていた。

 それが近年では、競馬界のあらゆる局面で「ベスト・トゥ・ベスト」の思想が浸透し、「一流の馬には一流の騎手が乗るべきだ」という思想のもと、一流騎手がフリーになり、一流馬には所属騎手でなくフリーの一流騎手を乗せることが当たり前となっている。若い騎手は、取り返しのつかないミスをすることで成長する。だが、そんなミスを受容しながら彼らの成長を待つ余裕は、時代とともに競馬界から失われつつある。目前のレースを勝つという目的において優れている新しい定石・・・「ベストトゥベスト」の思想は、いまや「人を育てる」という目的において優れていた旧定石である所属騎手の思想を凌駕し、駆逐しつつあり、今やリーディング上位の騎手でフリーでない者を探すことの方が難しくなっている。それどころか、リーディング上位の厩舎ほど所属騎手を置かない、あるいは置いてもレースでは使わないという傾向も顕著になりつつある。

 ところが、時代の流れと割り切るには寂しい「ベスト・トゥ・ベスト」の傾向がほぼ完成したかに見えた2000年・・・千年紀の終わりを飾る大世紀末に、滅びゆくのみに見えた旧定石を武器として、新定石に正面から立ち向かう強豪たちが次々と出現した。所属厩舎の若手騎手たちを背に、彼らだけのパートナーとともにGl戦線へと参戦し、そして彼らだけの戦いを貫き通した強豪たち・・・。「社台、SS、武豊」の強豪がステレオタイプのように量産される時代に突然現れた特異な名馬たちの戦いに、ファンは魅入られ、引き込まれていった。

 渡辺薫彦騎手とのコンビで知られる1999年の菊花賞馬ナリタトップロードは、そんな時代を代表する1頭である。内国産馬のサッカーボーイを父として、日高の中堅牧場で生まれたナリタトップロードは、沖芳夫厩舎の所属馬として、沖厩舎の所属騎手である渡辺薫彦騎手とのコンビでGl戦線に挑み続けた。ファンは当初、有力馬とマイナーな若手騎手のコンビに首をかしげ、時には容赦ない罵声を浴びせた。若い渡辺騎手にとって、それは悩み続ける日々だったことだろう。一時のこととはいえ、他の騎手への乗り替わりもあった。だが、そうした逆風の中でも彼らの絆は決して断ち切られることなく、やがて彼らは不世出の個性派コンビとして、誰よりも熱い支持と声援を受けながら、物語の最終章へと向かっていったのである。ナリタトップロードと渡辺騎手・・・馬と騎手というより、まるで戦友同士というべき彼らだけの戦いの物語を、私たちは決して忘れない。




『門別・佐々木牧場』

 ナリタトップロードの生まれ故郷は、門別の佐々木牧場である。繁殖牝馬が15頭程度の佐々木牧場は、家族牧場というより少し大きい程度の日高の中堅牧場にすぎない。過去には日経新春杯など重賞を3勝したナンバイチバン、小倉大賞典(Glll)を勝ったオースミマックスなどの重賞馬を輩出した佐々木牧場だったが、佐々木牧場から分家した佐々木節哉牧場が二冠馬キタノカチドキや短距離王者ニホンピロウィナーを次々と輩出したこともあって、周囲からは

「分家の方がよく走る」

と言われ続けたという。

 佐々木牧場の人々は、そんな現状に決して満足してはいなかった。馬産界の自由化によって、海外からは次々と優れた血が入ってくる。社台ファームを筆頭とする少数の大牧場は、圧倒的な資本の力を背景にして、血統だけでなく施設、人材、ノウハウの集積といったあらゆる場面で日高の牧場に差をつけつつある。そんな時代に、それほどに巨大なライバルと同じ土俵で戦わなければならないというのに、旧態依然とした馬産だけでは生き残ることすらままならない・・・。

 そんな危機感に衝き動かされて、佐々木牧場では、繁殖牝馬を積極的に海外から導入するようになった。その中の1頭が、ナリタトップロードの母・フローラルマジックだった。

 日本人が海外の繁殖牝馬を購入する手段としては、セリ市が多い。しかし、佐々木牧場はフローラルマジックを庭先取引で手に入れたという。

「ダメなときはとことんダメだけど、いい時はとことんいい子を出すNative Dancerの血がほしかった」

という佐々木牧場の場長・佐々木孝氏にとって、米国で24戦6勝の実績を残し、さらに米国三冠馬Affirmedを父に持つフローラルマジックは、極めて魅力的な存在だった。約3000万円という価格は決して安いものではないが、同時にそれくらい出さなければ手に入れられない価値のある牝馬だと思った。そして、フローラルマジックは佐々木牧場へとやって来た。

 マニラの子を宿したまま佐々木牧場へやって来たフローラルマジックは、日本ではベリファ、ジェイドロバリー、ロドリゴデトリアーノといった種牡馬と交配され、オープンまで出世する産駒を次々と送り出した。中でも全日本3歳優駿を勝ったホウシュウサルーン(父ベリファ)、若葉S(OP)を制したグリーンプレゼンス(父ロドリゴデトリアーノ)の名前は、多くのファンに知られている。




『誕生』

 1995年春、佐々木牧場の人々がフローラルマジックの交配相手に選んだのは、かつて爆発的な瞬発力と派手なルックスで親しまれ、マイルCS(Gl)などGlを2勝した内国産の強豪・サッカーボーイだった。

 オグリキャップ、スーパークリークらと同期にあたるサッカーボーイは、ライバルに恵まれすぎた上に気性が激しく、また故障も多かったため、潜在能力として期待されていたほどの実績を残すことはできなかった。だが、気性の激しさは闘志の裏返しであり、また彼の故障は能力の高さに肉体がついていかなかったためだったことを忘れてはならない。その能力の一端は、2着に8馬身差をつけて圧勝した阪神3歳S(Gl)、同じく4馬身差をつけたマイルCS(Gl)、日本レコードを樹立した函館記念(Glll)などからもかいま見ることができる。

 Gl2勝を挙げながらも競走馬としては不完全燃焼に終わったとされるサッカーボーイは、種牡馬としては素晴らしい実績を残し、当時まだGl馬は出していなかったものの、既にゴーゴーゼット、ツルマルガールなどの活躍馬を出していた。佐々木氏がフローラルマジックの交配相手にサッカーボーイを選んだのも、これら初期の産駒の活躍に目を留めたからで、

「種付け料も手ごろ(250万円)でした。父に似れば小柄だけどきっちりまとまった子供、母に似ればゆったりした子供。どっちに転んでも悪くないな、と思って」

と話している。まったくタイプの異なる牡馬と牝馬を交配した場合、両方の長所を受け継がず、むしろ短所だけを受け継ぐことの方が多いというが、もしナリタトップロードがそうなったとしても、佐々木氏は落胆はしても、驚きはしなかっただろう。

 ところが、実際にサッカーボーイとフローラルマジックとの間に生まれたのは、佐々木氏を驚かせるほどできのいい子馬だった。ナリタトップロードを初めて目にした時の感想について、佐々木氏は

「はじめて自分が頭に思い描いたとおりの馬が出たと思いました」

とその感動を振り返っている。生まれたばかりの子馬への期待は裏切られることも少なくないが、この時点でのナリタトップロードは、佐々木牧場で生まれた子馬たちの中でも、随一の存在だった。




『訪ねてきた男』

 ナリタトップロードの馬体と素質は近所で評判となり、その評判を聞きつけて、佐々木牧場を訪ねてくる調教師も少なくなかった。だが、佐々木氏の心を動かしたのは、夏に突然牧場を訪ねてきた栗東の沖芳夫調教師だった。

 沖師は、以前サッカーボーイの全弟・ミスターゼットを管理したことがあった。ミスターゼットは競走馬としてまったくモノにならなかったが、沖師はその雪辱の思いも込めて、機会があればサッカーボーイの子供を管理してみたいと思っていた。そんなところに、「ナリタ」の冠名を持つ馬主の山路秀則氏から、

「この馬を見てきてほしい」

とリストを渡されて、その中に混じっていた佐々木牧場で生まれたサッカーボーイの子供に目を留めたのである。

 佐々木牧場を訪ねた沖師は、お目当ての子馬をまじまじと見つめ続けた。そして、馬を飽きるほど見つめた後になって、

「ぜひ自分にやらせてください」

と佐々木氏に頭を下げた。

 佐々木氏は、それまで沖師と面識がなかった。しかし、調教師という仕事と自分自身の関係について

「毎年出逢う馬は、およそ20頭。その馬の『可能性』と出逢うのが楽しみで、仕事がやれています」

と語る沖師の思いは、初対面の佐々木氏にもひしひしと伝わってきた。彼の競馬への熱意、馬への情熱、そして誠実な人柄は、佐々木氏の心を動かすに十分なものだった。

 こうしてナリタトップロードの未来は、沖師の手に委ねられることになった。それは、ナリタトップロードの競走馬としての運命を決定づける最初の出会いだった。


[「その2」へ続く]

記:2003年05月05日 訂:2005年11月07日 文:ぺ天使@MilkyHorse.com
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BGM:B.S.Bach作曲 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ カンタータ140番BWV140より
(C)「Linten to Bach!!」
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写真:ナリタトップロード近影 (C)「Carrot Lunch」


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