スーパークリークによって魅せられた人々が、日本競馬という大河の中を流れ続けている限り、スーパークリークもまた大河の中で生き続ける。

大河の流れはいつまでも スーパークリーク列伝その1
 1985年5月27日生。牡。鹿毛。柏台牧場(門別)産。
 父ノーアテンション、母ナイスデイ(母父インターメゾ)。伊藤修司厩舎(栗東)。
 通算成績は、16戦8勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍は、天皇賞秋・春(Gl)、菊花賞(Gl)、京都大賞典(Gll)連覇、
産経大阪杯(Gll)、すみれ賞(OP)。
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スーパークリーク列伝
(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)を採用します)

『平成三強時代』

 現在「日本競馬の危機」が取り沙汰されている。バブル経済崩壊以降、日本経済の全体が収縮の方向へ向かう中でも、中央競馬だけは新規のファン層を獲得し続け、不況知らずの右肩上がりで成長を続けたが、そんな幸福な時代は、いまや完全に終焉を迎えたと言わなければならないだろう。
 
 これまで若年層や女性を中心に増え続けてきた新規ファンの開拓が頭打ちとなり、さらに従来のファンも、不況の影響で明らかに馬券への投資を明らかに控えている。そのため、現在中央競馬の馬券の売り上げは、大きく減少しつつあるようである。そして、JRAの財政の根幹を支える馬券の売り上げの急減は、そのままJRAの資金力を直撃する。数年前は日本で稀にみる「優良企業」だったJRAも、現在は他の業界とまったく同じ苦しみにあえいでおり、巷では賞金の一律カットの噂もささやかれている。
 
 外国産馬の大攻勢によってひとあし早く危機を迎えたのは馬産地だったが、その危機はいよいよ競馬界全体にも広がってきたと言わなければならない。「失われた90年代」に繁栄を謳歌し続けた中央競馬も、現在ひとつの曲がり角を迎えようとしていることは間違いない。
 
 しかし、これだけの不況の中で、中央競馬だけがここまで成長を続けてくることができたというのは、むしろその方が驚異に値するというべきである。そして、そんな驚異的な成長を支えたのは、ちょうどこの時代に大衆を惹きつける魅力的なスターホースたちが続々と現れたからにほかならない。やはり「競馬」の魅力の根元は主人公である馬たちであり、いくら地位の高い人間が威張ってみたところで、馬あってのJRA、馬あっての中央競馬であるということは、誰にも否定しようがない事実である。
 
 そして、そうした繁栄の基礎を作ったのがいわゆる「平成三強」、スターホースたちの時代の幕開けである昭和と平成の間に、特に歴史に残る「三強」として死闘を繰り広げたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭である、ということは、誰もが認めるところである。当時はバブル経済の末期にして最盛期だったが、この時期に3頭の死闘によって競馬へといざなわれたファンは非常に多く、彼らが中央競馬の隆盛に対して果たした役割は非常に大きい。
 
 中央競馬が曲がり角を迎えている今だからこそ、私たちは中央競馬に大きな変革をもたらした過去について、客観的に思い返さなければならない。そこで今回は、「平成三強」の一角として活躍し、天皇賞秋春連覇、菊花賞制覇などの実績を残したスーパークリークを取り上げることにする。

 

『水源』  

 スーパークリークの生まれ故郷は、門別の柏台牧場というところである。柏台牧場は、現在は人手に渡っており、その名前を門別の地図から見出すことは、もはやできない。しかし、この牧場はもともと昼夜放牧を取り入れたり、自然の坂を牧場の地形に取り入れたりするなど先進的な取り組みを恐れない先進的な牧場として知られており、スーパークリーク以外にも、スーパークリークが生まれた1985年当時に既に重賞戦線で活躍中であり、1987年の宝塚記念(Gl)をはじめ重賞を8勝したスズパレードを出している。当時の柏台牧場は、繁殖牝馬の数も20頭前後を揃えた堅実な中堅牧場だった。
 
 スーパークリークの母であるナイスデイは、岩手競馬で18戦走って1勝しただけにすぎなかった。これではいくら牝馬でも繁殖入りすることは難しいと思うのが普通だが、幸いなことに、彼女の一族は繁殖入りすればくず馬を出さない牝系として、柏台牧場やその周辺で重宝されていた。そんなわけで、ナイスデイはその戦績にも関わらず、繁殖入りすることができた。
 
 このような感じだから、繁殖牝馬としてのナイスデイの資質はまったく未知数だった。ただ、ナイスデイの父であるインターメゾは、代表産駒が天皇賞、有馬記念、菊花賞を勝ったグリーングラスであることから分かるように、明らかなステイヤー種牡馬だった。そのため、柏台牧場の人々がナイスデイの配合を決めるにあたって考えたのは、この馬に眠っているはずの豊富なスタミナをどうやって引き出すか、ということだった。

 

『菊を勝つために』

 しかし、「スタミナを生かす配合」と口で言うのは簡単だが、実践することは極めて難しい。一般にスピードは父から子へ直接遺伝することが多いが、スタミナについては、それを生かすための気性や精神力は遺伝以外の要素が大きいこともあって、当たりはずれが激しいからである。

 そこで、柏台牧場のオーナーは、ビッグレッドファームの総帥であり、「馬を見る天才」として馬産地ではカリスマ的人気を誇る岡田繁幸氏に相談してみることにした。オーナーは岡田氏ともともと古い友人同士であり、繁殖牝馬の配合についても、それまでに何度も岡田氏に相談に乗ってもらっていた。

 「この馬の子供で菊花賞を取るための配合は何をつけたらいいでしょうか」
 
 気のおけない間柄でもあり、柏台牧場のオーナーは大きく出てみた。すると岡田氏は、
 
 「ノーアテンションなんかはいいんじゃないか」
 
と、これまた大真面目に答えたという。

 ノーアテンションは、仏独で33戦6勝、競走馬としては、主な勝ち鞍が準重賞のマルセイユヴィヴォー賞(芝2700m)、リュパン賞(芝2500m)ということからわかるように、競走成績では「二流のステイヤー」という域を出ない。しかも、前記戦績のうち平場の戦績は25戦4勝であり、残る8戦2勝とは障害戦でのものである。しかし、日本へ種牡馬として輸入された後は重賞級の産駒を多数送り出し、競走成績と比較すると成功といって良い水準の成果を収めた。産駒の特色は、スーパークリークと同じような晩成の長距離馬が多いことである。

 インターメゾの肌にノーアテンション。菊花賞を意識して考えたというだけあって、この配合はまさにスタミナ重視の正道をいくものだった。これぞ、現代競馬からは忘れ去られつつある、古色蒼然たる純正ステイヤー配合ということができる。 

 

『いきなりの危機』

 しかし、翌年生まれたナイスデイの子には、生まれながらに重大な欠陥があった。左前脚の膝下から球節にかけての部分が外向し、大きくゆがんでいたのである。
 
 毎年柏台牧場には、自分の厩舎に入れる馬を探すために、多くの調教師たちが訪れていた。彼らはナイスデイの子も見ていってくれたが、馬の動きや馬体については評価してくれても、やはり最後には脚の欠陥を気にして、話はなかなかまとまらなかった。
 
 結局庭先取引で買い手が決まらなかったナイスデイの子は、まず当歳夏のセリに出されることになった。しかし、この時は買い手が現れず、いわゆる「主取り」となった。1年後にもう一度セリに出したものの、またも主取りに終わった。こうしてナイスデイの子は、早くも競走馬になれるかどうかの瀬戸際に立たされることになってしまった。競走馬になるためには、最後のチャンスとなる2歳秋のセリで、誰かに認めてもらうしかないところまで追いつめられてしまったのである。

 
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記:2002年01月06日 文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
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BGM:B.S.Bach作曲 (C)「Linten to Bach!!」
ブランデンブルク協奏曲第5番BWV1050より ロ短調アッフェトゥオーソ

※BGM不要の方はhttp://www.retsuden.com/vol34-00.html へどうぞ。

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