私たちは忘れない、「彼」の背中こそが本当の「男の背中」だったということを…
その1 |
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1981年に創設された第1回ジャパンCの結果ほど、当時の競馬関係者に深い衝撃を与えた事象は、日本競馬の歴史の中でもそう多くないに違いない。ホウヨウボーイ、モンテプリンスといった、当時の日本競馬の頂点を極めた中長距離馬たちがことごとくこのレースに挑み、海外の二流馬たちの前に無残に敗れ去ったこの日の結果は、競馬関係者の間に「世界」への憧れを強めただけでなく、「世界」が日本競馬とは別世界であることも思い知らせるものだった。その後しばらくの間、「ジャパンカップ」とは日本のすべてのホースマンの見果てぬ夢だった。「府中に日の丸を!」という叫びは、ある意味でダービーさえも超える重みを持ってすらいた。 |
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マーベラスクラウンは、1990年3月19日、新冠の早田牧場新冠支場で誕生した。米国のトップサイヤー・ミスワキを父、ニュージーランド・オークスを制したモリタを母に持つマーベラスクラウンは、早田牧場の1990年生まれの馬たちの中でも期待の良血馬だった。 |
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こうして誕生したマーベラスクラウンは、新進の名種牡馬とニュージーランドオークス馬の子という血統もさることながら、均整のとれた馬体、皮膚の薄さ、動き、負けん気など、彼自身の競走馬としての資質も素晴らしいものを持っていた。 |
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このように周囲の期待を集めたマーベラスクラウンだったが、その一方で、入厩したころからたいへんな気性難を見せるようになった。ある時は引き運動の途中に突然手綱を振り切って走り出し、勝手に厩舎の中へと帰ってしまった。またある時は、攻め馬の途中で突然乗り役を振り落とそうと暴れ出したり、蛇行を始めたりした。彼は、その激しい気性ゆえに、人間はもちろんのこと、自分自身で自分をコントロールすることすら拒んだのである。 |
[「その2」へ続く]
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| 記:2001年01月11日 訂:2003年6月07日文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com 御意見・御感想は、筆者(ぺ天使)宛にどうぞ! |
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