「春の季節になると思い出す馬たちがいる。―そして、彼の戦いは最終局面を迎える。」

名馬のもう一つの条件サクラユタカオー列伝
 1982年4月29日生。牡。栗毛。藤原牧場(静内)産。
 父テスコボーイ、母アンジェリカ(母父ネヴァービート)。境勝太郎厩舎(美浦)。
 通算成績は、12戦6勝(3-5歳時)。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(Gl)、毎日王冠(Gll)、
産経大阪杯(Gll)、共同通信杯4歳S(Glll)。
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サクラユタカオー列伝
         

『サクラユタカオー旋風』

 昨年、1999年のGT戦線は、サクラユタカオー旋風が吹き荒れた。これまでも内国産種牡馬として常にトップクラスの種牡馬成績を収めてきたサクラユタカオーだったが、昨年の成績は特筆に値するものだった。

 まずオークス(GT)で、ウメノファイバーが血統的に距離不安、と言われながらも直線で豪脚を炸裂させて優勝したときには、まだ「ユタカオーもたいしたものだなあ」という程度の認識だったかもしれない。しかし、続く安田記念(GT)で、これまたサクラユタカオー産駒のエアジハードが、大本命の外国産馬グラスワンダーを差し切ると、もはやそれだけでは済まなくなった。近年の外国産馬優勢の流れの中に現れた、外国産馬の歴史でもおそらくは最強クラスに属するであろう怪物グラスワンダーを内国産馬、それも輸入種牡馬の子でなく、内国産種牡馬の子が破ったのである。この結果はファンを驚かせたばかりでなく、近年外国産馬に押されて元気のなかった馬産地への久々の朗報となった。彼らの活躍は、種牡馬サクラユタカオーの能力を再認識させるに十分なものとなったのである。

 エアジハードは秋にはマイルCS(GT)も勝って、タイキシャトルに続く史上4頭目のマイルGT春秋連覇を達成した。サクラユタカオー産駒のGT馬は、これでスプリンターズS(GT)連覇のサクラバクシンオー、エリザベス女王杯(GT)馬サクラキャンドルとあわせて4頭、延べ6勝ということになる。この数字はもちろん現役の内国産種牡馬の中ではトップの成績で、種牡馬サクラユタカオーは、まさに超一流と呼ぶに値する成功を収めたといえる。

 しかし、サクラユタカオーの現役時代の実績をみると、けっして超一流といえる成績とはいえない。サクラユタカオーの現役時代の通算成績は12戦6勝、うち重賞4勝、GTは天皇賞・秋1勝、というものである。この数字では、一流馬であるということはできても超一流馬とまでいうには物足りない。彼と同世代であり、クラシック戦線で主役を務めたミホシンザンの戦績を例として見てみると、通算16戦9勝、うち重賞7勝、GT勝ちも皐月賞、菊花賞、天皇賞・春の3つに及んでいる。見ての通り、サクラユタカオーとミホシンザンの数字を比べてみると、すべての面でミホシンザンがサクラユタカオーを上回っているのである。また、サクラユタカオーが最も輝いた1986年秋頃に活躍した他の馬を見ても、ダイナガリバーは13戦5勝、うち重賞3勝(GT2勝)、メジロデュレンは21戦6勝、重賞2勝(GT2勝)でサクラユタカオーとそう差のない実績を残している。このように、同時代の馬たちとの比較の上からは、サクラユタカオーの実績がずば抜けたものとは言い難い。

 しかし、そのサクラユタカオーの引退、種牡馬入りが決まると、馬産界は当初から種牡馬としての彼に並々ならぬ期待をかけた。そしてその結果は期待に違わぬ大成功で、サクラユタカオーはいまや産駒から4頭のGT馬、さらに多くの重賞馬を輩出する超一流の種牡馬となっている。サクラユタカオーの血統的な影響力は、競走馬としての実績では彼に勝る前述の3頭すべてをあわせたよりも大きなものになっているといっても過言ではない。競走馬としては並みの一流馬に過ぎなかったサクラユタカオーが種牡馬としては超一流の実績を残し得た秘密は、いったい何だったのだろうか。

 

『名門スターロッチ系』

 サクラユタカオーが生まれたのは、静内の名門・藤原牧場である。藤原牧場は明治35年に創業したという古い伝統を持っているが、その伝統は単なる古さによるものではなく、その間多くの名馬を輩出したという実質に裏打ちされたものである。藤原牧場が生産してきた馬たちをみると、サクラユタカオー以外にも、ハードバージ、サクラスターオー、ウイニングチケットといった名馬たちが目白押しである。藤原牧場について聞いて驚くのは、これほど絶えず活躍馬を出す牧場だから、相当大きな牧場かと思いきや、藤原牧場の生産頭数は年にせいぜい十数頭で、家族経営の牧場を少し大きくした程度の規模しかないということである。少ない頭数で多くの活躍馬を出してきた藤原牧場こそ、本当の意味での名門牧場にほかならないといえよう。

 ところで、藤原牧場の代表的生産馬としてあげたこれらの馬たちには、ひとつの共通点がある。彼らは皆同じ牝系、スターロッチ系の出身だ、ということである。

 スターロッチが最初に有名になったのは、その現役時代である。スターロッチは4歳春にまずオークスを勝ったばかりか、さらに秋には有馬記念まで制覇し、この快挙で、静内・藤原牧場の名は「スターロッチの生産者」として全国に知れ渡った。オークス勝ちだけでもたいしたものだが、それに加えて有馬記念となると、これはもうたいへんなことである。有馬記念を勝つ牝馬すら滅多にいないのに、さらに4歳で、ということになるとこれは日本競馬史上スターロッチ1頭しかいない、それほどの快挙だった。

 しかも、スターロッチは競走馬として優れていただけでなかった。スターロッチの子孫たちからは、前述のように多くの名馬、強豪が続々と輩出し、今やその牝系は「スターロッチ系」として通じるほどに成長した。終戦直後の昭和21年、御料牧場の廃止に伴ってスターロッチの母コロナが藤原牧場へやってきたことから始まるこの一族は、名牝スターロッチを経て藤原牧場、そして日本競馬界に素晴らしい名馬を次々と供給してきたのである。名牝系といえばほかに「華麗なる一族」として知られるマイリー系も有名だが、活躍馬の多さではスターロッチ系が勝るということができよう。

 もっとも、スターロッチ系がすぐに名牝系として繁栄を始めたわけではない。スターロッチの直仔の競走成績は、母の輝かしい競走成績に比べればむしろ期待はずれというべきものであり、10頭の直仔の中からは、重賞勝ち馬は1頭も出ていない。それが現在「牝系スターロッチ系」が確立するまでに至っているのは、スターロッチの娘たちが続々と活躍馬を出したことによる。スターロッチの血が真価を発揮するまでには、決して短からぬ時間を要したのである。しかし、藤原牧場はスターロッチの血の力を信じ、この牝系を牧場の主力繁殖牝馬として守り通してきた。サクラユタカオーも、このように藤原牧場がスターロッチ系を長年にわたって育ててきた成果の一つなのである。

 

『ファミリー』

 サクラユタカオーの母アンジェリカは、スターロッチ系の中でも特に素晴らしい実績をあげた名繁殖牝馬である。アンジェリカはスターロッチの孫娘にあたり、現役時代は12戦2勝とたいした成績はあげられなかった。しかし、競走生活から引退して繁殖入りした後は、サクラユタカオーだけでなく「日の丸特攻隊」の愛称で親しまれたサクラシンゲキ、後に悲運の二冠馬サクラスターオーの母となるサクラスマイルを出し、名牝として知られるようになった。

 アンジェリカの評価を最初に高からしめたのは、サクラユタカオーの半兄サクラシンゲキの出現である。サクラシンゲキは現役時代は26戦9勝という数字を残し、京王杯オータムH連覇、スプリンターズS、函館3歳S優勝で重賞を4つも勝った。もっとも、それと同時に2000m以上のレースでは8回走って一度も連にすら絡めなかったことから距離の壁があることも明らかだったが、当時の日本競馬では短距離レースの価値が低かったため、距離適性がないことを承知の上で中長距離の大レースに出走せざるを得なかった。その意味で、サクラシンゲキは短距離馬不遇の時代に生まれた名短距離馬といえる。

 しかし、もしサクラシンゲキが短距離戦線に専念していたとしたら、彼が実際に勝ち得たような人気を得ることはできなかっただろう。サクラシンゲキが「記憶に残る馬」として人々に愛されたゆえんは、勝ったレースよりもむしろ敗れたレースにこそあった。漢字に直すと「桜進撃」となるこの馬はその名に暗示されるかのように儚さすら感じさせる一本調子の極端な逃げ馬で、不利と知りつつ大レースに出走して玉砕的な逃げを打ち、そして潔いまでに鮮やかに散っていくそのさまこそが、サクラシンゲキの原点であり、人気の源泉でもあったのである。距離の壁があるといわれながらも直線半ばまで先頭に立ってあわやと思わせたダービー(オペックホースの4着)、そして世界の強豪を向こうに回して狂気のハイラップを刻み、「日の丸特攻隊」と呼ばれる原因となった第1回ジャパンC(メアジードーツの9着)での逃げはまさに桜の散り際の儚さ、特攻隊の悲しいばかりの勇ましさを思わせる進撃であり、その戦いの記憶は今なお多くのファンの胸に深く刻まれている。

 

『栗毛如何ともし難し』

 生粋のスプリンターであるドンとの間でサクラシンゲキを出したアンジェリカは、サクラシンゲキ誕生の5年後に今度はテスコボーイの子を受胎した。テスコボーイと言えば生涯で5回中央競馬のリーディングサイヤーに輝く大種牡馬であり、その産駒は確実に高く売れた。また、それだけでなくテスコボーイは軽種馬協会の所有種牡馬だったため、大牧場とのつながりがない零細牧場でも種付けが可能な上、種付け料も安く抑えられており、テスコボーイは馬産家の大多数を占める中小牧場にとって、まさに救世主ともいうべき存在ですらあった。藤原牧場の人々は、牧場のカマド馬であるアンジェリカとテスコボーイとの子に夢を託したのである。

 サクラシンゲキの活躍によって評価が高まったアンジェリカだったが、サクラユタカオーが生まれる前の2年は不受胎、死亡と悲運が続いていただけに、テスコボーイで勝負に出た藤原牧場の人々が生まれてくる子馬に寄せた期待は高かった。藤原牧場の人々の思いは一つ、サクラシンゲキとは父こそ違えど同じナスルーラ3×4のインブリードの血を持って生まれてくるはずの若駒に、兄を超えた大物になってほしい、というものだった。しかし、1982年4月29日、天皇誕生日に無事誕生した子馬を見たときの彼らの思いは、非常に複雑なものだったようである。

 藤原牧場の当時の当主だった藤原祥三氏は、ユタカオー誕生について、種付け台帳にこのように記したという。

「馬格雄大、骨量有、品位に富む。温順、怜悧、大物の相、栗毛如何ともし難し」

 牧場の期待を一身に集めて生を享けた子馬の馬体は、藤原牧場の長い歴史の中でも例を見ないほど素晴らしいものだった。大柄だが馬体のバランスがとれており、さらに美しい馬体は気品すら漂わせていた。立ち上がったこの子を見た藤原氏には、彼こそが藤原牧場始まって以来の大物になるという感触すらあった。しかし、そうでありながら藤原氏が手放しで喜べないのには、別の理由があった。当時テスコボーイがその輝かしい種牡馬成績にもかかわらず、なぜか栗毛の活躍馬をほとんど出していなかったからである。

 

『悪しきジンクス』

 テスコボーイ自身の毛色は黒鹿毛で、その産駒で走ったのは父と同じ黒鹿毛、または鹿毛の馬たちばかりだった。その他の毛色、特に栗毛の馬については、数はそれなりにいたにもかかわらず、あまり走らなかった。少なくとも、「テスコボーイの子」に要求される水準を満たしてくれる栗毛の産駒は、黒鹿毛や鹿毛の産駒に比べると著しく少なかった。そのため、馬産界では「テスコボーイの栗毛」は走らないというジンクスが「常識」として公然とささやかれていた。そして、その「常識」は単なるジンクスの域を通り越して馬産農家を直撃するものだった。せっかくいい馬を作っても、「テスコボーイの栗毛」というだけで安く買い叩かれることがしばしば起こったのである。

 もちろん毛色は運だから、テスコボーイの子で栗毛に出ることも予想しなければならないといえばそのとおりである。しかし、今回の場合、テスコボーイはもちろんアンジェリカも同じ黒鹿毛だったということを忘れてはならない。また、サクラユタカオーの兄姉(そして弟妹)を見ても、サクラユタカオー以外は1頭も栗毛はいないのである。このような事情のもとで、藤原氏に栗毛が出るという予想をたてさせるのはあまりに酷というものだろう。

 いずれにしろ、テスコボーイの子なら高く売れる、と計算を立てて、しかもそれに見合う子馬を作ったのに、人の力ではいかんともしがたい毛色によってその値段が大幅に下がってしまうことの悔しさを、藤原氏はよく知っていた。「栗毛如何ともし難し! 」という嘆きは、そのような背景があってのことのである。

 

『市場取引の星』

 藤原氏に複雑な気分を味わわせたアンジェリカの子は、これといったトラブルもなく牧場ですくすくと成長し、翌年の6月には2歳馬のセリ市に出されることになった。テスコボーイは軽種馬協会の所有馬で、その子はセリ市に出さなければならないという規則があったためである。

 アンジェリカの子は、このときのセリの目玉となった。彼のひときわ目を引く馬体の美しさは、当時から既に馬産地では評判になっていたのである。馬体に問題があるとすれば、食欲が旺盛すぎて体が大きくなりすぎ、脚元にやや不安があることだったが、それはさして深刻なものでもなかった。最大の問題は「テスコボーイの栗毛」であること。馬には惹かれつつも、ジンクスを気にして様子見にとどまる馬主、調教師たちは少なくなかった。そんな雰囲気の中で、アンジェリカの子に目を光らせる馬主と調教師がいた。「サクラ軍団」の全演植氏と、その主戦厩舎の主である境勝太郎調教師である。

 全氏は「サクラ」の冠名で知られる「サクラ軍団」の初代総帥である。かつてサクラシンゲキを所有した縁で、それ以降アンジェリカの子はすべて自分で所有して「サクラ」の勝負服で走らせていたため、藤原氏も子が生まれるとすぐに全氏に連絡を入れた。「十年に一度現れるかどうか、という素晴らしい牡馬が産まれた」という知らせを受けた全氏は境師を伴って藤原牧場へ訪れて、この子馬に大いに心惹かれた。また、信頼する境師と相談しても、やはり素晴らしい馬だという。本来なら庭先取引で当歳のうちに手に入れたいほどだったが、テスコボーイの子である以上それはできず、市場取引を待つしかなかった。「でも栗毛なんですよ」と悲しむ藤原氏に対して「絶対私が競り落とす」と宣言し、必ず手に入れると心に決めて、この日を心待ちにしていたのである。

 自らも相場眼を持ち、その大物ぶりに「相当の値がつくだろう」と覚悟していた全氏だったが、このセリは意外とあっさりと決着がついた。藤原牧場がアンジェリカの子につけた「お台」(最低価格)は3000万円で、大種牡馬テスコボーイの子、それも十年に1頭という美しい馬体の持ち主の値段としては、むしろ控えめなお台といえた。しかし、全氏以外の出席者は二の足を踏む。彼らが躊躇したのはただ一つ、「テスコボーイの栗毛」という点のみだった。

 そこで全氏が声をかけた。

「3500万円!」

お台に一気に500万円上乗せすると、もはや誰も競りかけてくる者はいなかった。アンジェリカの子は、この瞬間兄たちと同じ「サクラ」の勝負服で走ることが決まったのである。

 3500万円という価格は、そのセリでの最高値だった。しかし、「栗毛でなければ最低ニ倍、下手をすると億の声も聞いたかもしれない」とも噂された。そんな中で全氏は「安い買い物ができた」と大満足だったという。全氏は富にも通じる『豊か』という意味をこめて、この馬に「サクラユタカオー」と命名した。

[続く]

記:2000年4月7日 2訂:2000年11月30日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com 御意見・御感想は、筆者(ぺ天使)宛にどうぞ!

   

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